パブリックドメインの写真に「転載禁止」?──博物館による囲い込み問題を考える
著作権の保護期間が切れた明治時代の写真。それらは本来、人類共有の文化財として、誰もが自由に使える**パブリックドメイン(public domain)**に属するはずだ。しかし、現実にはそうした写真に対して、博物館が「無断転載禁止」と明記している事例が少なくない。 これは法的に許されるのだろうか? 倫理的に妥当なのか? そして、こうした行為は博物館の使命に照らして正しいのか? この記事では、法律・倫理・思想の観点から、この問題の本質を掘り下げてみたい。 所有権と著作権の混同 まず確認すべきは、所有権と著作権は別物という大前提だ。博物館が明治時代の写真(例えばガラス乾板や古写真プリント)を保有している場合、確かにその「物理的な所有権」はある。しかし、そこに写っている表現についての権利、すなわち著作権は、原則として写真家の死後70年で消滅する。 つまり、その写真に著作権が残っていない場合、表現の自由な利用はすでに誰にでも認められている。ただ保管しているだけの博物館には、他人の利用を制限する権利は本来存在しない。 なぜ博物館は「禁止」と言うのか? では、なぜ博物館が「転載禁止」と主張するのか。その根拠としてよく出されるのは以下のような論点である: スキャンやデジタル修復に創作性がある 利用者が利用規約に同意したとみなされる 文化財保護や商業利用の抑制のため しかし、忠実なスキャン画像に創作性は基本的に認められないというのが、日本を含む多くの法域での判例・通説である。さらに、単にサイトに記載されているだけの禁止文言が、法律に優越することはない。利用規約の同意がなければ、契約違反にもなり得ない。 結局のところ、これらの主張は法的な裏付けが弱い「お願い」や圧力に過ぎない。 学術的自由と知の公正性 明治時代の写真は、単なる懐古趣味の対象ではない。都市景観、衣服、社会構造、植民地政策、ジェンダーなど、あらゆる学術分野にとって極めて重要な視覚的史料である。これを「無断転載禁止」として閉じ込めることは、研究・教育・報道に対する妨害に他ならない。 本来、博物館は知の番人であり、アクセスと再利用を可能にする存在であるべきだ。にもかかわらず、パブリックドメインにあるべき表現を「うちの所蔵物だから」として独占的に扱う姿勢は、知の門番に成り下がることを意味する。 国際的にはどうか? 欧米ではすでに、「OpenGLAM(Galleries, Libraries, Archives, Museums)」という運動が進んでおり、メトロポリタン美術館やライデン大学図書館などが著作権が切れた画像を明示的にパブリックドメインとして公開している。 彼らはこうした行為を、文化機関の責務と考えている。対して、日本の一部の博物館では、未だに「所蔵者による独占」という意識が強く残っているように見える。 結論:文化財は囲い込むな 著作権が切れた明治時代の写真は、公共財である。博物館がその再利用を制限することは、文化の発展を妨げ、学術的自由を侵害し、市民の表現を不当に抑圧する行為である。 所蔵者であることを理由に、著作権のない表現の利用を禁止する行為は、法的にも倫理的にも許されない。 文化を守るとは、囲い込むことではない。文化は開かれてこそ、生きた財産になる。 もし本記事が示すような事例に出会った場合は、是非その画像が本当にパブリックドメインかどうか確認し、堂々と使ってほしい。わたしたちは、文化の泥棒にはならない。