本当のDXの前にやるべきこと
最近「DX(デジタルトランスフォーメーション)推進」が各所で叫ばれている。しかし現場にいると、こう思うことがある。
「そもそも既存の仕事環境・やり方に、改善の余地が山ほどあるのでは?」
なぜそれを誰も手を付けないまま、DX化すればすべてうまくいくような幻想を持ってしまうのか。今回はその疑問を軸に、「本当のDXの前にやるべきこと」について考える。
1. DX以前の問題が山積している
たとえば、現場には以下のような問題が未だに存在している:
- ファイル名の付け方がバラバラ:検索も連携もできず、属人化。
- 資料の保管場所がバラバラ:似た資料が3つの部署に散在。
- 紙文化からの脱却ができていない:回覧・押印が前提の仕事設計。
- はんこ中心主義:電子承認と対立。
- 意思決定プロセスが硬直化:どうでもいい書類でも部長決裁・複数部署合議。
こうした状況下で「システムを入れればなんとかなる」という発想は、土台がぐらついたままビルを建てようとするようなものだ。
2. DX化に失敗する典型パターン
ありがちな失敗例として、「うちのやり方にシステムを合わせろ」症候群がある。
「うちの部署のやり方は昔からこうだ。このフローをそのまま電子化しろ」
こう言われると、まともなシステム会社ほど逃げ出す。結果、残った会社がオンプレミスの独自システムを必死に作る羽目になり、保守コスト・拡張性ともに地獄を見ることになる。
3. 紙のシステムには、実は完成度があった
皮肉なことに、紙文化全盛時代の運用は、ある意味よく考えられていた。
- 回覧順、原紙の保管ルール
- 個人情報の管理(ラベルで識別、鍵付き書棚)
- ファイルの物理的整列(背表紙にテープを貼り、ファイルの並び順を維持)
実際、上記のような背表紙のテープ整理も、きちんと設計されたアナログUXと言える。
ではなぜ、これが電子化に失敗したのか。
それは「電子ファイルの正式文書化」に対する認識が欠けていたからだ。
電子ファイルは「ワープロ出力の下書き」程度にしか扱われず、共有フォルダも「作業途中の一時置き場」という感覚から抜け出せなかった。
4. ワープロ文化の呪縛
実は多くの混乱は、「PCによる文書作成」がワープロの延長線上で捉えられていたことに由来する。
- ファイル名なんてどうでもいい:
- ワープロ時代の名残で、紙が正式文書。だから、中間生成物のファイル名なんてどうでもいい。
- 保存場所もどうでもいい:
- ワープロ時代の名残で、紙が正式文書。だから、中間生成物の保存場所なんてどうでもいい。
- 更新履歴も残さない:
- ワープロ時代の(略)。
このように、電子ファイルは**正式な業務ドキュメントではなく、「紙を出すための中間生成物」**という認識で扱われてきた。その結果、文書管理番号のような厳密なルールが紙の時代には存在したのに、電子ファイルには導入されず、混乱が生まれた。
5. 本当のDXに必要な土台とは
うまくいっているDXとは、「システムを入れたこと」ではなく、「情報管理・意思決定・責任分担の仕組みが整っていること」である。
紙時代にあった「文書管理番号」「管理表」「保管責任」などを、電子化後もきちんと継承し直すことが必要だ。
つまり:
- ファイル名の命名規則を決める
- フォルダ構成を組織で共通化する
- 電子文書の責任者と保存年限を定める
このような地味な「整理整頓」こそが、本当のDXの前にやるべきことだ。
6. まとめ
「DX」の前には、「正しい文書管理」「適切な権限設計」「情報の流通設計」がある。ITツールは、それを支える道具でしかない。道具の前に、まず土台を整えよう。
DXで未来を変えるには、まずは目の前のファイル名から変えていくしかない。