自己啓発ポスターは“絶対悪”か、それとも“必要悪”か

「できない理由 禁止!」 「できない理由を考えるのではなく、できる方法を考えるのがあなたの仕事!」

職場の壁に貼られた自己啓発ポスターを目にしたとき、多くの人が抱く感情は、感謝や励ましではない。むしろ「うわぁ、またこれか」と思い、やる気を失い、管理職に対する不信感を募らせるのではないだろうか。

見るだけで心がすり減るポスター

この手のポスターは、形式的には“前向き”で“やる気を引き出す”言葉が並んでいる。しかし、それを読む社員の心には、まるで逆の効果が生じることも多い。たとえば「人が足りないから… ➝ 改善しよう!」「時間がないから… ➝ 時間を作ろう!」といったフレーズ。

これは、まるで「人が足りないことも、時間がないことも、お前のせいだろ」と言っているように聞こえる。実際には、現場の人員不足やスケジュールの過密さは、管理職や経営層の責任であることが多い。

ポスターが押しつける“自助努力”の限界

この種の自己啓発ポスターには、共通した特徴がある。「現場の個人に責任を押しつける」ことだ。

  • 設備がない? ➝ 工夫しろ!
  • やったことがない? ➝ やってみろ!
  • 苦手? ➝ 挑戦しろ!

こういったフレーズは、一見すると意識高いメッセージに見える。しかし、当事者が本当に必要としているのは、「工夫」ではなく「設備投資」かもしれないし、「挑戦」ではなく「教育」かもしれない。

誰が何をするべきかを曖昧にする“標語”の危うさ

この手のポスターは、一体どんな組織や職種を想定して作られているのだろうか?

正直、まっとうな中~大企業の製造業で、きちんと社内規定ISO 9001, 14001, 45001などの品質・環境・労働安全衛生マネジメントシステムに基づいて業務が行われている現場であれば、こうした“精神論”ポスターが必要になる場面は少ないはずだ。

  • 問題が発生したら、なぜそれが起きたのかを「正当な理由」として分析(是正処置)
  • マネジメントはリソースやプロセスを管理する責任を持つ(PDCAサイクル)
  • 各社員は割り当てられた役割の範囲で業務を遂行すればよく、「全能」である必要はない

たとえば「改善しよう!」という一文。これは、

  • 係長であれば「現場の小改善をまとめて報告する責任」
  • 主任であれば「作業手順の見直しを現場と調整する役割」
  • 一般社員であれば「定められた手順を遵守し、気づいた点を上長に報告する義務」

といった具合に、それぞれの立場に応じた“改善への関わり方”がある。

しかし、ポスターはそれをすべて吹き飛ばして、

「お前がなんとかしろ」

という曖昧かつ無責任なプレッシャーだけを残す。

これは、組織的な職務分掌(役割と責任の割り振り)を完全に無視している

特に製造業では、手順を勝手に変えることは重大事故(労働災害)や品質不良につながりかねない。現場作業員が良かれと思って独自の方法を取ると、それが品質マニュアルや社内外との取り決め(使用設備、作業条件など)を逸脱してしまうリスクがある。

たとえば実際に、1999年に発生した東海村JCO臨界事故では、作業員が手順を逸脱してウラン溶液をバケツで注入し、臨界事故が発生。2名の作業員が死亡し、日本の原子力安全行政にも大きな影響を与えた。

効率の良い方法を思いついたとしても、それは生産技術部門や品質保証部門による検証と、正式な手順変更(いわゆる4M変更)の承認を経て初めて採用されるべきものだ。

「より良いやり方を考えよう!」という標語が、手順の逸脱を誘発し、結果として重大なトラブルにつながる危険性もあることを、こうしたポスターはまったく考慮していない。

それでも貼られる“必要悪”?

では、この種のポスターはすべて排除すべきなのだろうか。必ずしもそうとは言い切れない側面もある。人によっては、「背中を押された」「言葉に救われた」ということもあるだろう。

ただし、それが成り立つためには、次のような前提が必要である:

  • 組織が本気で改善しようとしている姿勢がある
  • 現場の声を吸い上げる仕組みがある
  • 労働環境が一定以上整備されている

このような環境が整ってはじめて、自己啓発の言葉が“響く”ようになる。

理想の職場に貼られるべきポスターとは

もしポスターを貼るなら、管理職や経営層に向けてこう書いてみてはどうか。

「できない理由を聞こう」 「改善のために、まず現場に耳を傾けよう」

ポスターに必要なのは、叱咤や根性論ではなく、信頼と対話のメッセージだ。

結論:言葉ではなく、行動が問われている

「できる方法を考えるのがあなたの仕事だ」——この言葉を現場に投げるのは簡単だ。

だが本当に求められているのは、

「できない理由に耳を傾け、できる環境を整えるのが、あなた(管理職)の仕事だ」

という視点である。

自己啓発ポスターが“絶対悪”に見えてしまうのは、組織としてやるべきことをやっていないまま、言葉だけで誤魔化そうとするからだ。言葉の力は、行動が伴ってはじめて生まれる。

ポスターを貼る前に、あなたは何をしてきただろうか?