エビデンスベースドは終わったのか? フェイクとAIが支配する時代の真理

かつて「エビデンスベースド(Evidence-Based)」は、社会の理想とされた。医療、教育、政策、経営、あらゆる分野で「証拠に基づく判断」が重要だとされ、科学的な裏付けによる意思決定が広がりを見せた。

しかし現在、私たちはその理想とまったく逆の方向に進んでいるように見える。フェイクニュースが蔓延し、AIは堂々とそれっぽい嘘を紡ぎ出す。「何を信じればいいのか分からない」時代において、エビデンスベースドという思想は力を失ってしまったのだろうか?

時系列で見る:希望から崩壊までの20年

年代 出来事 概要
1990年代末〜2000年代初頭 Evidence-Based Medicine(EBM)が医療で定着 医療分野で科学的根拠に基づいた診療が導入される
2010年代 EBPM(Evidence-Based Policy Making)が拡大 教育・行政などにも証拠重視の姿勢が広がる
2016年 フェイクニュース元年 トランプ当選/Brexit。SNSでの情報拡散により、嘘が真実を上回る影響力を持った
2022年〜 AIハルシネーション問題が顕在化 ChatGPTなどのLLMがもっともらしい嘘を自然に出力し始める
2025年現在 情報の信頼性が失われつつある SNS・生成AI・検索がノイズまみれに。個人が真偽を見抜く力を試されている

なぜエビデンスベースドは広まらなかったのか?

  • 手間がかかる:情報を集め、根拠を吟味する作業は面倒である
  • 専門性が求められる:統計や研究手法の理解が前提となる
  • 誤用される:「都合の良い論文だけを引く」ような形式主義が横行
  • 大衆に届かない:感情や直感の方が遥かに人間の判断を左右する
  • 悪貨が良貨を駆逐する:「それっぽく見えるだけの情報」が支持されやすい

ハルシネーションとフェイクの時代にこそ必要なもの

確かに、AIはハルシネーションを起こす。SNSは嘘を爆速で拡散する。検索結果は広告とSEOで歪められ、信頼できる情報にたどり着くのが困難になった。

だが、だからこそ、「証拠を確認する」「出典を見る」「確からしさを吟味する」姿勢=エビデンスベースドの態度が不可欠である。

ChatGPTであっても、「なぜそう答えたのか?」「根拠はあるか?」と問いかければ、精度は上がる。問いの側がエビデンスベースドでなければ、答えはいつまでもノイズにまみれたままである。

結論:エビデンスベースドは思想ではなく、生存戦略である

エビデンスベースドは単なる流行でも、方法論でもない。これは「情報があふれ、嘘が標準になりかけている世界」で生き残るための行動原理である。

「信じたいものを信じる」ことは簡単だ。しかし、それでは操作される。

いま一度、自らが問う力、見極める力、確かめる姿勢を取り戻すべきではないか。

エビデンスベースドは終わっていない。むしろ、今ようやく、その真の必要性が見え始めたのだ。