捨てられない人間だった私が、5Sと出会って変わった話
はじめに
製造業に身を置く者として、「5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)」の重要性は業務上の基本として学んできた。しかし、それをプライベートに応用してみて、初めて「片付け」にも“理論”があると実感した。私はかつて「物をまったく捨てられない人間」だったが、5Sとの出会いによって大きく変わることができた。その変化の過程を、自身の体験を通じて綴っていく。
「物を捨てない」ことが当たり前だった環境
私が物を捨てられなかった理由の根底には、家庭環境がある。実家には小学校のテストや学級会の配布プリント、読まない本、壊れた家電などが山のように残されていた。両親もまた、明確なゴミ以外は何も捨てない人たちだった。
経済的に余裕のない家庭だったからこそ、「一度手放したら二度と手に入らないかもしれない」という強迫観念が根強くあり、「モノを大切にする=捨てないこと」という価値観が自然と染みついていた。
「汚いよ」と言われて目が覚めた
社会人になって数か月経った頃、同期と私服で飲みに行った際、「なんか服装が汚いよ」と言われた。言ってくれたのは中国人の同期で、日本人ならまず口にしないようなストレートな表現だったが、私はむしろその言葉に感謝している。
大学時代から着続けていた擦り切れたパーカーを、何の疑問も持たずに着ていたことに気づかされ、そこから一念発起して服や日用品、家電を新調した。その過程で、かつては見過ごしていた古いものが急に“異物”として目につくようになった。
経済的余裕がもたらした意識の変化
経済的に少しずつ余裕が出てきたことで、「また必要になれば買えばいい」と思えるようになった。これは私にとって大きな意識の転換だった。長年使っていなかったもの、壊れたまま保管されていたものを、ようやく手放すことができたのだ。
「どうやって収納するか」ばかりを考えていた私は、このとき初めて5Sの本質、つまり「要らないものはまず捨てる」という整理の第一原則を理解した。20年来の「モノを捨ててはいけない」という呪縛から、ようやく抜け出せた瞬間だった。
心の呪縛としての「捨てられなさ」
捨てられないという感覚は、単なる怠慢ではない。私のように、経済的な不安や育った環境からくる“心の呪縛”や“心理的な強迫感”が背景にあることも多い。
「ゴミ屋敷」レベルになると別の次元の問題かもしれないが、そこに至るまでの段階で、物に対する執着や不安が精神的な課題として現れているケースは多いと感じている。片付けられないのは、“片付け方を知らない”だけではなく、“手放すことが怖い”という心の問題でもあるのだ。
おわりに
5Sの「整理」という概念は、単なる掃除のテクニックではない。私にとっては、自分の心と向き合い、過去の価値観を見つめ直すためのフレームワークだった。
物を捨てることは、時に痛みを伴う。だが、それを乗り越えて「今の自分に必要なもの」だけを選び取ることで、空間も心もずっと軽くなる。捨てられなかった過去の自分を否定するのではなく、そこから少しずつ変わっていけたことに、今は誇りを感じている。