なぜ今、ブログにサイドバーが消えつつあるのか|小説消費との意外な共通点

かつて、ブログといえばサイドバーが定番だった。カテゴリ、人気記事、タグクラウド、月別アーカイブ……読み手は気になったブログを見つけたら、作者の他の記事を「読み漁る」文化があった。小説の世界でも同様で、気に入った作家を見つけたら、その人の他の作品も読んでみようと思うのが普通だった。

だが、今は違う。ふと気がついた。静的サイトジェネレーター(SSG)で人気のテーマをいくつか見ていたところ、どれもサイドバーがない、もしくは最小限しかない。おや?と思った。

その直後、10年ほど前に小説家が語っていた話を思い出した。「昔は作家買いをしてくれる読者が多かったのに、今は“バズった1作品だけ読まれて、他のシリーズには手が伸びない”。」

この2つは、別の現象ではない。読者行動が“全体を見る”から“単体消費”に変わったのだ。


読者は「読み漁り」から「単体消費」へ

  • 昔(〜2010年代前半)
    • 好きになったブログや作家の他の作品も読む
    • サイトを「回遊」して楽しむ
    • サイドバーはそのための道標だった
  • 今(2020年代)
    • SNSや検索でたまたま見つけた“1記事だけ”を消費
    • 他の記事や作品を追いかけない
    • サイドバーが減ったのは、それがあまり使われなくなったからだ

Webと小説の共通点:バズった1本主義

この傾向はブログに限らない。Web小説、ラノベ、Z世代の情報消費すべてに共通している。

  • SNSで話題になった「1冊だけ」が読まれる
  • 作家名は覚えられない。シリーズものは続かない
  • 読者は“その瞬間の満足”だけを求めている

北海道大学の「ゼロ年代の情報行動の変容」や、沖縄国際大学の学報『羅針盤』でも、こうした読者行動の変化は観察されている。今の消費行動は「広く・浅く・瞬間的」であり、過去のように「作者を追いかける」スタイルは主流ではなくなっている。


では、設計はどう変えるべきか?

サイドバーはあえて最小限にする

  • 目次(TOC)だけで十分。記事に集中してもらう
  • 回遊してほしいなら、記事の文中や末尾に自然な導線を仕込む

読み漁り型の読者にも対応する

  • 記事が増えたら、「リンク集」や「このブログの読み方」ページを用意
  • タグやカテゴリは読者よりも自分のための構造整理と割り切る

読者行動の変化を、設計にどう活かすか

ネットを長く使ってきた人ほど、サイドバーがないと違和感を覚えるかもしれない。それでも、時代は変わり、読み方も変わった。

今の読者は、1記事を読んだらすぐ離れていく。でもその1記事の中で「次の導線」が自然にあれば、ふとクリックしてくれることもある。読者が変わったなら、こちらの設計も変えていくしかない。

かつての読み漁り文化を懐かしむ気持ちを持ちつつ、今の単体消費型の行動様式にどう向き合うか。この変化を受け入れた上で、どんな情報設計をすれば伝わるのか。それを考えること自体が、ネットの読み手・書き手にとって価値ある営みだと思う。


昔の「読み漁り」も、今の「単体消費」も、それぞれの時代に合った読み方。 重要なのは、それに気づき、記録し、活かすことだ。

設計は、観察と気づきから始まる。